毎年9月から11月までローマ書の連続講解説教を行うことを始めて2年目になりました。今朝は昨年の最後の説教を中心に2章までを振り返りたいと思います。

パウロが生きた時代、ローマは異邦人世界の代名詞のような大都市でした。そこにはパウロの働きによらないキリスト者の群れ、異邦人教会がすでに出来上がっていました。パウロはこの教会に強く惹かれ何とかして行ってみたいものだと熱望していましたが、なかなか機会が訪れません。彼はコリント滞在の間に、まだ見ぬ信仰の友らに真心をこめて手紙を送ったのでした。真心も愛も詰まった手紙の内容はしかし厳しいものでした。相手を思うからこそ…。本気で相手を思うことはそう簡単ではありません。良いことを言うのは簡単。しかし相手が厭がると分かっていながらも敢えて諫言することは、真実と信頼関係がなければ出来ることではありません。パウロは会ってもいないローマの信徒たちにまず「神に愛され、召されて聖なるものとなったローマの人たち」と呼びかけ、祝福の言葉を贈ります。その上で信仰者であることで慢心している信徒たち、偽預言者たちを糾弾しようとするのです。彼らを正しい信仰へと導きたい一心から、互いに励まし合う関係に導かれたい思いから敢えて。私にはとても真似出来ません…。

ところで、初対面の人であっても相手がキリスト者であるだけで心を赦すことができるあの感覚はいいですね。いろいろな集会に出席する義務を私たちは負いますが、信仰者の集会へ行く時は心が軽い。牧師会や超教派の集まりにも出席しますが、知人が一人も居ない集会であっても、最初は多少物怖じするものの慣れてうちとけることが出来ます。一人の神を仰ぐ。この一点で一致するだけで相手を信頼することが出来ることは、考えてみればすごいことではないでしょうか。