アフタークリスマスの礼拝はイエスさまの少年時代のエピソーソから聞きます。

 ユダヤの成人男子は、ユダヤの三大祭にエルサレムに上ることが義務づけられていました。近辺ならともかくディアスポラたちはヨーロッパからアフリカに至るまで散らされていましたから年に3度の宮詣での負担は小さくはなかったと思います。イエスさま一家はナザレ在住でしたから3,4日の旅だったでしょうか。

 今朝のお話は12歳になったイエスさまが、巡礼の旅の帰途で行方不明になったという、唯一少年時代のイエスさまの姿を垣間見るエピソードです。イエスさまは12歳といえど道草をして迷子になったとか、ふら~っと野原へ迷い込んだとか、そんな理由で居なくなったのではありませんでした。宮詣でのためにエルサレムに帰ってきていた神学者たちと話し込んでいるうちに巡礼が出発をしてしまったのでした。マリアとヨセフは息子が巡礼の中にいないことに気づいて1日分の道のりをとって返したのでした。
 12歳の少年とは思えないイエスさまの言動を、分けても母マリアは深く心に留めた、とあります。聖霊によって与えられた息子のことは小さなことでも記憶に留めて置こうとしたのだと思います。

 シメオンの賛歌に、マリア自身も剣で心を刺し貫かれる、という一節があります。この歌詞の意味はマリアにもシメオンにさえも明かされていませんでした。20年後イエスさまが架けられた十字架の下で息子を見上げて初めてマリアはその言葉を理解したのでした。