神さまは、すべての人間が罪を犯す者であるが故に世界が闇に覆われ、自ら傷つき孤立している、このことに心を痛められました。何とかしてこの罪の重荷を人から取り除こうとして、イエスさまをこの世界に送ってくださいました。私たちを大切に思って下さるからこそ、関心を寄せてくださるからこその破格の憐れみ、慈しみでした。
しかし人の世界はイエスさまを認めなかったのです。人は神の子を拒否したのです。確かに神の御子の人類への介入は、全員が手放しでは喜べないものなのかもしれません。誰もがその人なりに揺さぶられ、試され、裁かれるからです。誰にとっても、神の御子の介入は痛みを伴うものだからです。自分の本当の姿、罪人である自分と向き合わなければならないからです。神さまの前に、自分は何と醜いものであることか、穢れていることか、自分への失望、絶望を経験しなければならないからです。
確かに痛みはする、失望はする。けれどそれは新しく生まれ変るための脱皮の痛みなのだ、そう考えることは不可能ではないのではないでしょうか。こんな自分だからこそイエスさまが必要なのだ。こんな自分だからこそ神さまは愛してくださり、哀れんでくださってイエスさまをくださるのだ。そこまで思いが深められ、高められていくべきではないでしょうか。その時、私たちの心の暗さは明るさへと変えられ、光へと変えられるのだと思います。イエスという名前には、神さまがこんな私をも覚えてお心に留めてくださっているとの事実が秘められているのです。
Merry Christmas!