今朝は、説教箇所の予定を急遽変更してマタイの山上の説教から「主の祈り」を取り上げます。毎週の主日礼拝の中で必ず祈る「主の祈り」。そういえば何年か前に「主の祈り」を解説した分かりやすく読みやすい本を常会で輪読したことがありましたね。

今朝のマタイのテキストではイエスさまの方から弟子たちに「こう祈りなさい」と仰って主の祈りを教えておられますが、ルカの並行箇所では弟子たちからイエスさまに「祈りを教えてください」とリクエストしています。そういえばバプテスマを受けたばかりの頃にはよく「どう祈ればいいのでしょうか」と誰彼なしに訊いていた記憶があります。「人のお祈りを聞いて真似なさい」から「心配しなくてもいつの間にか祈れるようになってる」まで様々な助言を頂いたことを思い出します。弟子たちがイエスさまに尋ねたのは彼らも私のような初心者だったから?

そうではありませんでした。彼らはもともと生まれながらのユダヤ教徒でしたから一日に3度も決められた時間に祈りをささげていたのです。ただキリスト者のように神さまに「天のお父様」と呼びかけて対話するようなお祈りはしたことがありませんでした。およそ宗教と名のつくものには「祈祷書」や「祈祷文」があるのが普通です。ユダヤ教にももちろんありました。ところがイエスさまはいつも祈祷書も持たずに目を閉じておられるだけ。それで彼らは訊かないわけにはいかなかったのです。「先生、祈祷文の紙ってないんスかぁ?」