行く先々で問題を招いていくパウロはついにユダヤの最高法院を、分裂寸前にまで追い込むほどの大混乱に陥れてしまいました。こういうといかにもパウロは極悪人みたいですが、本当は逆なのだと思います。神さまの完全な義を無視し、自分の義を正当化しようとするところに歪みや不自然な負荷が生じるのは当然でしょう。自らの義を累々と積み上げて築いた壁が神さまの義の前に頽(くずお)れる時、大混乱が生じ崩壊が起こります。でも、神さまの御心に叶う新しい命はどうやら自己崩壊の瓦礫の中から芽生えてくるもののようなのです。パウロはただ自分の証し―、神さまが自分に何をしてくださりその後の自分がどう変えられたのか、自分の築いた壁が壊されて見通しが良くなり何が見え始めたのか―を、淡々と語っただけでした。それだけでも最高法院のメンバーたちの壁はガタガタと壊れ始め、混乱を来してしまったのです。人が築く壁(Doing)の如何に脆弱なものであるかが見える気がします。

 さて今朝のテキストは、最高法院の大混乱の中からローマの千人隊長によって救出されたパウロが護送され総督フェリクスの許へと到着するまでの経過の記述です。2ページに亘る記事の中にパウロは一度だけ登場し一言語るだけです。しかしこの部分は、神さまがパウロをローマへと持ち運ばれる重要な導入部分、いかにも使徒言行録が「聖霊行伝」と呼ばれるに相応しい箇所です。神さまが、人の目には不思議としか思えない方法で働き人を助け導かれることが描かれています。楽しんで読みたい箇所です。