一人の人を私たちの群れにお迎えするために、私たちは「その人の状況に教会が合わせる」という選択をしようとしています。そのために教会全体で合意形成をする必要があります。先ずは祈りを合わせ、時間をかけ段階を踏んで合意に達したいと思っています。

 この場に至って「一人の人が礼拝に出席するために教会側が柔軟に変化する方が合理的だ」ということに私は初めて気づきました。私たちの教会には遠隔地に住んでいて恒常的に教会に通うことが不可能な教会員、仕事やその他の諸事情で主日の礼拝に出席することができない教会員が今までにもあったし、今もあるのです。それらの方々を思いつつもただ「状況が変わりますように」とだけ祈っていたなと。教会が変わるという発想がなかったなと。今更ながら忸怩たる思いに苛まれています。

 コロナ危機の3年間は、正直に言って思考も行動も停止状態⏸️にありました。私はそんな状態でも神さまは伊川教会を支え牽引し続けて下さいました。緊急事態宣言発出の度に会堂を閉鎖しなければならない状況下でオンライン環境が整えられたこともそのひとつです。この機能が、礼拝の新しい可能性を私たちに気づかせてくれました。

 オーソドックスな礼拝に固執することにも意味があるでしょう。でも私たちが究極的にこだわるべきはそこではないのです。私たちが選び取るべき礼拝は「何人をも問わず一人でも多くの人と共にイエス・キリストの言葉を聴く」こと。そこに立てば礼拝のバリエーションは果てしなく広がっていきます。

 私たちは9月一杯、教会形成、バプテスト、礼拝、教会観、信徒観、牧師観などなどについて学びます。祈りを合わせて求道者のために祈りバプテスマの備えをしていきます。