今日は、コリントの信徒への手紙一12章12~26節から学びます。実は説教ではテキストのほとんどを取り上げないのですが、何故か23節24節が心に留まりました。

 自分の体の中の見苦しい部分と見栄えのする部分…。見苦しいとか見栄えがするとかは極めて客観的な評価です。他人のルックスについての評価なら有りでしょうが、自分の体についてはそんな評価はしないのではないか。ふとそう思ったのです。

 昔「出来の悪い子ほど可愛い。」という言葉をよく聞きました。「出来が悪い」というのは客観的、世間一般的評価ですが「可愛い」というのはごく主観的で感情的な評価です。良くない評価をされることの多い子に慈しみの目を向けてこよなく愛し、誰に何と言われようが私が世間の冷たい風からこの子を守る!みたいな覚悟さえ感じられます。温もりを感じます。日本人の感性って素敵だなと思います。

 そして気づいたのだす。これが、神さまの人間に対する慈しみなのだ、と。これをヘブライ語で「ヘセド」と言います。ヘセドが世界中の人の心に満ちますように。