人の子は…排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている。

 エルサレム途上でイエスさまはこの言葉を3度繰り返されました。その理由は、弟子たちがご自分亡き後も慌てないで恐れないで聖霊の降りを待っていることが出来るようにと強く願われたからでした。

 けれども弟子たちにはその切なるイエスさまのお気持ちがなかなか伝わりません。彼らは相変わらず誰が一番偉いか、そんな議論に熱中していました。また若いヨハネは、イエスさまのお名前を使って悪霊を追い出していた人に、自分たちに従うかそれとも悪霊祓いを止めるか、ほとんど脅しのようなことを良かれと信じてしていました。

 本当にどうしようもない弟子たちです。でもイエスさまはお怒りにならず、逆らわないのなら好きにさせればよい、と広い心を示されたのでした。

 今朝の聞きどころはその続きの41節です。

はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。

 この言葉に慰められ希望を抱くキリスト者は少なくないのではないでしょうか。私たちの周囲にはキリスト教の信仰を持たないでこの世を去って行った人が断然多いのです。中には私の信仰を理解してそれを守るために協力してくれた人もたくさんあった。またイエスさまに出会う前にこの世の旅を終えなければならなかった人も大勢あるのです。

 この私が救われたことだけを喜んでいていいのかな…。そこに思いを至らせ祈る時、イエスさまのこのお言葉が希望となって響いてきます。私たちはみんなで天の国に行きたいのです。