先主日のクリスマス礼拝がとても祝されて感謝でした。いつかきっと教会員全員で、との祈りを始めています。先週はクリスマスまでの関連行事が無事終わって小さくホッと一息つけましたが今日からはまた違った怒涛の日々が始まります(笑)

今年のクリスマスは「インマヌエル」三昧でした。インマヌエルが耳タコ!だなんて!何と贅沢で感謝なことでしょうか。現実の生活があまりに暗くてしんどくて希望が見えないので、キリスト者でもこの天上からのメッセージをつい忘れてしまったりちょっと疑ってみたりもはや諦めてしまっていたり…。信仰心が萎えそう、折れそうな時、この言葉を心に留めつつ信仰の始まりの日に思いを至らせてみましょう。感動の場面が、イエスさまが出会ってくださったあの日の一コマが、新しい感動を呼び起こすに違いありません。

マタイはその感動―徴税所に座っていた自分にイエスさまが「私に従いなさい」と仰ったこと―を思い起こす度に喜びと感謝が湧き上がってくるのを抑えることが出来なかったのだろうと思います。どうしよう…、そうだ!イエスさまの物語を書こう!こうして彼は福音書を書き始めたんだろう、勝手に想像しています。イエスさまが起こしてくださる出来事の感動や喜びを、人は自分の中に閉じ込めてはおけない。エレミヤも言っています。-主の名を口にすまい、もうその名によって語るまいと思っても主の言葉は、私の心の中、骨の中に閉じ込められて燃え上がります-エレミヤは疲れ果ててついに、私の負けですといいました。どうかご内住のインマヌエルの熱意が私の中で燃え上がり押さえ切れなくなって降参!と、私も叫びますように。