「人は信仰によって義とされる」。3章においてローマ書の中心的なテーマについて語ったパウロは、このことを立証するために旧約聖書から二人の証人を立てようとします。その二人とはユダヤ人たちが文句なく尊敬する「アブラハム」と「ダビデ」でした。
アブラハムについては、私たち異邦人キリスト者も彼を「信仰の父祖」と呼んでこの人の信仰の子孫であることがちょっと嬉しいのですが、紀元前1800年頃の人と言われます。神さまから呼び出されて故郷を旅立ちカナンへとやって来ます。そこで彼は「あなたの名を大きくする。子孫を増やす。土地を与える。」との約束を与えられた。しかしアブラハムには子どもがいませんでした。子孫が増えるワケがない…と、私なら思うかも知れません。けれどもアブラハムは神さまの言葉を愚直に信じました。パウロはこのアブラハムを通して「行いの法則によってではなく信仰の法則によって人は救われる」ことを証明します。律法や割礼にこだわるユダヤ人のために、です。
パウロはダビデについても語っています。紀元前1000年頃のイスラエル王国第2代の王様です。少年時代から神さまへの純粋な信仰を貫き、生涯神さまを愛し神さまから愛された人でした。パウロは、ダビデが謳った詩32編に注目します。ダビデは犯した罪を神さまに告白した。その信仰姿勢の故に神さまはダビデの罪を問われなかったのです。マスキール(教訓の詩)と言われる32編から、ダビデの喜びと感謝が伝わってきます。私たちも信仰によって義とされた者たち。その大いなる恵みを頂いて、喜びつつ感謝しつつ生きていきたいですね。