「救いは信仰によって」
                    2018年1月14日
「使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。」(6節)いよ
いよエルサレム会議が始まりました。この問題とは、『ある人々がユダヤからやって来
てモーセの慣習に従って割礼をうけなければ、あなたがたは救われない。」と兄弟たち
に教えていた。』(1節)ことです。ファリサイ派からキリスト教に改宗した人々にと
って律法遵守と割礼はいわば救いの条件だったのです。彼らとて異邦人の救いを願って
いたのです。だからこそアンティオキアに下ってきてまで教えにやって来たのです。
でも救いに行いの条件が必要だとの主張は、救いは信仰によってのみ(信仰義認)を主
張するパウロたちにとって到底うけいれられるものではなかったのでした。
議論が重ねられたのち、ペトロが立ちあがります。かつてユダヤ人の自分が、神さまに
よって、異邦人ながらイスラエルの神を畏れていた(崇めていた)イタリア隊の百人隊
長の許へと遣わされたこと、この隊長とその家族に聖霊が下され、彼らが異言を話し、
また神を賛美するのを聞いたこと、などを証しします。そして、神はユダヤ人も異邦人
も差別されない方であること、イエスのみ言葉を信じる信仰によってのみ誰でもが救い
に入れられること、を告げるのでした。ユダヤ人キリスト者にとって、救いに何の行為
も必要としないというペトロの主張はその身の置き所を失うほどのものだったでしょう。
救いのために律法を守り、割礼を受けてきた彼らに、改宗したのだからそれらはもはや
不要だと言っても簡単には受け入れられるはずがありません。しかし結局エルサレム会
議は信仰義認を決議するのです。