「福音の力」
                      ローマの信徒への手紙1章16-17節
 いよいよローマの信徒への手紙の本文に入っていきます。今朝のテキストはわず
か2節ですが、これがこの手紙でパウロがローマの信徒たちに最も伝えたかった事
でした。「わたしは福音を恥としない。」福音は素晴らしい!とストレートに言わ
いところに、パウロの伝道旅行の苦悩が見え隠れするように感じます。コリントの
信徒への手紙一1章21節に「そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を
救おうと、お考えになったのです。」とあるように、福音を言葉で伝えることがと
ても困難であることは、昔も今も変わらないのだなと思わずにいられません。現代
は信教の自由が保障されているから危険もなければ迫害もない、などというのは認
識不足で、表面に表れない分陰湿であったり執拗であったり、また種々のハラスメ
ントに置き換えられたりして複雑化し、解決や解消を遠のかせているのが現状です。
そんな現代ではあっても、私たちに福音伝道の使命が託されていることに変わりは
ありません。そしてほとんどの人の心に、真ん中の神さまという1ピースが欠けて
いて絵にならないジグソーパズルがあることも変わらないのだろうと思うのです。
ほとんどの人はそれに気づかず、大抵の人はそこにこの世的な楽しみとかの違った
ピースを無理矢理はめ込んで落ちつかない日々を過ごしているのでしょう、きっと。
福音伝道はいつの世も困難ですが、同時にいつの世も福音を必要としているのだと
思います。言葉が力を持たない現代は、福音を生きる姿、生き様をもって福音を伝
えていく時なのだと思います。何が違っているのだろう…と人々が気になるような
生き方が出来るといいですね。「変な人」ではなくて。(念のため)