モーセは問います。イスラエルの人々は、私があなたを告げた時、「『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」神さまはお答えになりました。わたしはある。わたしはあるという者だ。神さまは「私の名は『ある』という」こう言われたのでした。名前はその「実」「内実」を表すと言います。神さまは、「私は存在する者である。永遠の昔から存在しており、今ここに存在し、そして無限の未来に至るまで存在し続ける者である。」このようにモーセにご自身を啓示されたのでした。

 天地創造の昔から未来永劫に至るまで、確実に存在される方は神さまお一人です。ということはこの方以外の天地万物あらゆる一切が限りあるものである、有限である、ということでもあります。神さまとはどのような方であるか。神さまを知っているつもりの私たちも時にこの質問の前に立つことは有意義であると考えます。答は信仰によって、またその人の神観によっていろいろでしょうし、いろいろであっていいとも思います。

 ただ私たちも、モーセに啓示された神さま、わたしは「ある」私は「存在する」という名前の唯一無二にして永遠なる神さま、というイメージを持ち続けることは大切だと思います。無限なる神さまによって作られた有限なる人の私。この対比を通して、私たちは真の謙遜を学ぶのではないでしょうか。この神さまに対する遜りと弁えが、この世での配慮に満ちた心持ちと所作を生むのではないでしょうか。