今日から6月末まで、マルコによる福音書を読んでいきます。マルコの福音書はマタイとルカが自らの福音書を著すためにおおいに参考にした書物ですが、それでも2人ともが取り上げなかった独自の記述がいくつかあります。今年度はそれらを中心に読んで参ります。
今朝は1章から。マルコはイエスさまの降誕物語を記していません。私の想像に過ぎませんが、イエスさまがお生まれになった時マルコはまだ生まれていなかったので人づてに聞いただけでは物語が書けなかったのではなかったか。そんな彼は「神の子イエス・キリストの福音の初め」という印象的な言葉をもって執筆を開始します。
今後説教で再三強調することになると思いますが、マルコの福音書の最大のテーマは「イエス・キリストとはどなたであるか」ということです。筆者はそれを読む私に「あなたにとってイエスさまとはどういうお方か」と訊くのです。そのためにこそ彼は著作の冒頭で「自分にとってのイエスさま」を証ししているのです。私にとってイエスさまは神の子であり福音そのものなのだ、と。
そんな筆者なので弟子たちの無理解には常に厳しい視線が向けられていきます。―まだ分からないのか、―なぜ信じなかったのか、―信仰の薄い者たちよ。これらの言葉が私たちの胸に突き刺さるので痛い痛い。でも痛いと感じるからこそ、自分の信仰を吟味する気にもなるのでしょう。マルコの戦術に乾杯(完敗)です。
小さな機会を逃さず心の中を点検して自己執着やみ言葉に対する固定概念を切り捨てて、聖霊の息吹が常に吹き抜ける霊の状態をキープしたいものです。