何事によらず回復には時間がかかります。仲直りするためには喧嘩の時間の倍の時が必要だと言われるほどです。
自分たちの罪に気づいたイスラエルが次に為すことは悔い改めでした。しかし悔い改めるにはまず罪の本質をはっきり認識しなければなりません。自分はどんな罪を犯したのかがはっきりして初めて「こんなことをしてはいけなかった」との反省が生まれます。次に害を与えた関係者に向かって謝罪をしなければなりません。そののちに同じ過ちを犯さないための新しい歩き方を始める。この一連の行動が悔い改めです。
神さまはこのテキストで罪の認識が出来ていないイスラエルの指導的立場の人々に向かい先ず、どんな罪を犯したのかを克明に指摘されます。彼らの罪は神さまから託された任務の怠慢と放棄そして搾取でした。これによって多くの人々が肉体的にも精神的にも信仰的にも瀕死の状態に陥っていたのでした。神さまは指導者たちをイスラエルの牧者」と呼ばれました。牧者とは羊飼い。その仕事は羊を育て保護し慈しむことです。パレスチナでは羊飼いと羊のこの関係が指導者と一般の人々に当てはめられていましたが、どこの国に於いても為政者の仕事は国民の命と健康、生活を守り人々が幸せを感じながら生きて行くことを様々な面からサポートすることです。
しかし「イスラエルの牧者たち」はそれらの仕事をしないばかりか、彼らを虐げ放置し搾取まで行っていたのでした。これが二千年前の昔話であったなら…。人類は何千年経っても変わっていないのです。