「罪はあなたがたを支配しない。あなたがたは恵みの下にいる。だからあなたがた自身を神に献げなさい。」

 ローマの信徒たち、すべてのキリスト者たちそして私たちに向かってパウロがこのように勧めていることを、先週私たちは学びました。

 今朝のテキストでパウロが言っている内容もこれとほぼ同じです。福音の恵みの素晴らしさを何としてでも伝えたいと、あなたの肉の弱さを考慮して(…つまりは理解力のない、頭の悪いあなたのために、)手を変え品を変えしながら何度も語ります(書きます)からね、とパウロは言っているのです。

 この熱心さには頭が下がります。おおいに見習うべきです。(でもユダヤ人と日本人がいろいろと違うことをもう少し配慮していただけません?)

 さてどのように工夫を凝らしたのか。彼はここで当時の「奴隷とその雇い主の関係」を持ち出すのです。(それ自体が現代人にはピンときませんよ、パウロさーん。)

 「雇い主の権威や支配力は主従関係にある場合においてだけ有効なのであって雇い主が代われば古い雇い主のどんな威力も奴隷には及ばない。」当時の奴隷制度のルールを読者にイメージさせた上で、あなたがたは「罪」という今までの雇い主からお払い箱にされ「神さま」という新たな雇い主に買い入れられた奴隷なのだ、と言うのです。更に、新しい雇い主が聖なる方であるのだから、あなたがたも聖なる者としての生活を心がけ、自分自身を献げて生きなさい、と言います。

 突っ込みどころはあるもののこれまでよりは確かに分かる気がします。(頭は悪いケド)