ヨナの宣教は前代未聞の成果を上げました。何しろたった1日「この町は40日経ったら滅びる」と呼ばわっただけで大都市ニネベの人々全部が悔い改めたからです。神さまの大勝利です。でもヨナは不満でした。怒っていました。その原因は、ヨナの偏狭なイスラエルの神観、神理解にありました。イスラエルは神から選ばれた神の民。弱小の民族はこの約束を縁(よすが)として共同体を存続させてきました。それがいつしか誇りとなり昂ぶりとなっていったのです。そして神はイスラエルだけを救う神との神観を持つに至ったのです。神さまが何の分け隔てもなくその大きな愛で自由に人々を救おうとなさることを拒否し始めたのです。ヨナはそんなイスラエルの信仰共同体に育ちその神観を自らの神理解として預言者となったのでした。預言者の言葉に聞いて悔い改めたニネベの人々はアッシリア人、異邦人でした。だからヨナは怒ったのです。何で神さまは異邦人なんかをお救いになるのか、と。そんなヨナに神さまは言われます。お前が怒ることは正しいことか、と。

 私たちの中にも自分の考えを正しいものとして中心に据え、それ以外のもの、反するものに対して怒りを覚えたり不満を言ったり無視したりする感情がないでしょうか。傍から見ればヨナが子供じみていることは分かるし笑いもするのですが、自分のこととなると案外見えていないのではないか。また自分を捨てて神さまの前に謙ることなしに、偏狭な神理解や信仰が正されることもないのです。