表面上は一応信教の自由が保障されている日本の現代社会でも、キリスト者であることを表明しながら生きていくことに逆風はつきものだと思います。迫害のようなことも、本当に起こっていないのか隠されて表面に出ていないだけなのかよく分かりません。ハラスメントなどは結構あるに違いありません。教会の中にだってあるくらいですから。
パウロは個人の信仰を妨げる働きはすべて悪の諸霊から来るといいます。そしてそれは血肉(人間)との戦いではなく霊的な戦いなので「神の武具」で身を固めて諸霊によく抵抗ししっかりと立っていなさいと勧めます。さらに7つの神の武具(真理・正義・福音・信仰・救い・霊・祈り)を実際の武器などに当てはめています。
今朝取り上げるのは15節、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。という部分です。少し分かりにくい言葉です。パウロはローマ書10:15でイザヤ52章7節を引用していますがそこ(イザヤ書)に、良い知らせ(福音)を「告げる者は平和を告げ」とあります。福音は平和の知らせだと読むことが可能なのです。そして告げ知らせる者の足に注目しそれを支える履物を武具として数えています。福音は宣教により広がっていきますが平和は人が実現することも可能なのです。
私たちは今、変わり目に立っています。ある人が新しい生活様式の模索を「原点に返ることだ」と言いました。その通りだと思います。神さまが創ってくださり良しと宣言された「形」を目指す。人もまた創造の原点に返るべきなのです。