パウロのアテネでの説教の2回目です。待ち合わせ場所と決め込んでいたアテネの街で、パウロは(導きのままに)伝道活動を始めました。ユダヤ人の会堂ではユダヤ人や神を崇めるギリシヤ人に説教し、街の広場では誰彼なく話しかけては議論をしていたパウロは、アテネの知識人たちに乞われてアレオパゴス(小高い丘 会議などを行う場所となっていた)で説教をすることになります。

パウロは内心嬉しかったでしょう。何しろアテネは偶像だらけの街。「知られざる神に」と刻まれた碑文や祭壇もあったのです。アレオパゴスに立ってパウロはいいます。「アテネの皆さんは信仰が篤いですね。何しろ知らない神さままで拝んでおられるのですから。」これを褒め言葉と受け取る人も皮肉と解釈する人もあると思います。アテネの人には褒め言葉に聞こえただろうと言われますが、私は反語、褒めているようでからかっていると感じます。

アイロニーといわれるこのちょっと意地悪な表現方法を使い始めたのがアテネで活躍した哲学者ソクラテスでした。パウロはそれを知っていて敢えてこういう言い方をしたのでしょうね。彼は、あなた方が「知らずに拝んでいる神」を教えてあげましょうと話し始めます。その神こそ天地万物を造り、人に命と息とすべてのものを与えてくださるお方なのだと。

パウロはどこで伝道しても、その土地の人々の心情や言葉や文化に配慮しつつ語ります。「共に福音に与るためにすべての人に対してすべての人になった」と言っている通りです。アテネではギリシヤ神話に基づく神観や信仰があることを前提に語っています。パウロがもし日本にやって来たとしたら八百万の神があるといいながら信仰心が育っていない人々にどんな切り口で話すのでしょうね。