ベレアの教会の信徒たちに守られて、パウロは夜の間に海辺の町へと移動しそこの港から船出しました。目的地は350㎞離れたギリシヤの町アテネ。そこでシラスとテモテを待つつもりでした。生まれたばかりのベレアの教会を放っておく訳にはいかずシラスとテモテはもうしばらくこの町に留まることにしたのでした。

 パウロにとってアテネは彼らとの待ち合わせ場所のはずでした。ところが彼は、街のあちらこちらに置かれていた夥しい数の偶像を見てしまったのです。この街では、静かに目立たないように過ごすつもりが、偶像に触発されてパウロは又もやユダヤ教の会堂に入っていっては説教し、広場に出て行っては福音を語り始めたのです。神さまのご意思が働いたと思うのは穿ち過ぎでしょうか。アテネは、高度な文化と芸術を誇る街でした。

 自由市民は教養豊かで好奇心に満ち、しかも暇を持て余していました。そしてパウロが語る「福音」に様々に反応しました。軽蔑する人もいましたが詳しく話してほしいという人もいたのです。今朝のテキストはこのアテネ伝道の物語の序論です。今まで出会う人誰彼なしに福音を語ってきたパウロは、このアテネで誇り高く哲学的素地を持つインテリ層に伝道するという新しい経験をするのです。

 因みにアテネは、世界の三大哲人(ソクラテス、プラトン、アリストテレス)を排出した(BC5-4)街。そんなアテネの自由市民たちの神観が、どこか日本人の神観と通じる部分があるように感じられるのは興味深いところです。現代社会に生きるキリスト者として福音伝道に困難を覚える私たちですが、アテネの人々の姿は良くも悪くも私たちの鏡になってくれるように思われます。