ローマ書4章は「アブラハムづくし」です。パウロは信仰義認を宣べるために、信仰によって義とされた代表として創世記からアブラハムを引き合いに出しました。そして数々のエピソードを通してアブラハムが「信仰義認の代表」だと言われるに至る過程を解説していきます。

最初はアブラハムも行いによって義とされようとする傾向があったのですね。そんな彼が、嫡子イサクを与えられる経緯の中で神さまに完敗し、信仰義認の人になっていく様子は感動的です。モリヤの山での出来事がアブラハムの信仰の変貌を如実に物語っていてこれにも私は感動してしまいます。

パウロは今朝のテキストで私たち現代のキリスト者に驚くべきメッセージを語ります。「『それが(アブラハムの信仰の確信が)彼の義と認められた』という言葉は、私たちのためにも記されている。主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、私たちも義と認められる、と言っています。アブラハムの義は私たちの義と同じ、アブラハムの信仰と私たちの信仰は質において同じというのです。私たちはただ旧約聖書を読んでいるから、それを聖典としているから、アブラハムを信仰の父と呼んでいるのではない。信仰の質においてアブラハムに倣う故に彼を信仰の父と呼んで尊ぶのです。

アブラハムの信仰は四千年の時を超えて継承され世界中に拡散されてきた、ということが出来そうなのですが、これって凄くないですか?こんなことに改めて気づかされる度に、聖書を読む楽しみのひとつに、時空を越えて悠久の神さまの時間の中に遊ぶ、ということが確かにある!と思うのです。