乗っていた船が難破して冬の地中海を2週間も漂泊。パウロもついに海の藻屑か…。しかし乗船者267名は全員無事に陸地に打ち上げられた、そこがマルタ島でした。
島の住民は親切で彼らに最高のもてなしをしてくれました。まず冷え切った身体を温めるためにたき火を炊いてくれたのです。住民たちの先祖はフェニキア人、海洋国家の民でした。難破した人にとって何が一番に必要か、彼らは知っていたでしょう。しかしそれ以上に思いやりのある人たちだったと私は思います。
「小さな親切、大きなお世話」という言葉があります。厭な言葉ですが一理あるとも思います。親切も、自分を捨てて相手を主語にして考えないと有り難いどころか迷惑になる場合があります。パウロたちはこの島で春を待ちつつ3ヶ月を過ごし、再び出航しました。マルタ島からシチリア島のシラクサへ、そして対岸の半島先端のレギオンへ。パウロはついにイタリアの地を踏んだのでした。更にプテオリ港まで海路を行き、そこで船を下りて7日間過ごしました。
一刻も早くローマに着きたい彼にとっては心逸る時であったかも知れません。実はこの7日間はイタリアのキリスト者たちがパウロのために動き回るための時間でした。まずプテオリの信徒たちがパウロの到着をローマ教会に知らせに行きました。次にそれを聞いたローマの信徒たちが街道沿いの2箇所の(いわゆる)宿場までやって来ました。こうしてパウロたちを出迎える準備万端が整えられたのです。ついにパウロはローマに着いたのでした。