兵営の中に担ぎ込まれようとした時パウロは千人隊長に、ユダヤ人たちに話しかけることを許され、回心の経緯を証ししました。「あなたを遠く異邦人のために遣わす。」というイエスさまの声によって3回に亙る海外伝道が豊かに実を結びました。しかし彼の中には常に同胞の救いのための祈りがあったに違いありません。

 かつてユダヤ教徒だった彼には、ユダヤ人たちがどれほどメシアの出現を待望しているかが分かっていました。けれども回心に導かれ、イエスさまにお会いした今のパウロは天上の真実を知っていました。ユダヤ人たちが待望しているメシアは真の救い主ではないこと、世界のすべての人を救う方はイエス・キリストであること、その方はこの世に来られ十字架の死によって地上での御業を成し遂げられたこと、天に昇られその福音が世界に向かって広がりつつあること、そしてその働きの一端を自らが担っていること。

 しかしユダヤ人たちはそのパウロの証しを受け入れないばかりか敵対心をむき出しにし、何かにつけて言いがかりをつけてはパウロを亡き者にしようと、騒動を引き起こしました。その度に登場したのがローマの千人隊長でした。神殿域の治安維持を任されていた彼は、なぜパウロという男がこんなにまでユダヤ人たちから憎まれ命まで狙われるのか知ろうとします。

 実はこの千人隊長の疑問は私たち読者の疑問でもあります。そしてその答は実に、私たち日本のキリスト者の伝道にも関わることなのです。コロナ災禍でコイノニアが危機!?そうでしょうか。今こそ教会とは何か、礼拝とは何か、問い直す好機ではないでしょうか。