前回私たちは、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。」という言葉を聞きました。今朝はこの「希望」を受けて、(そのような)「希望は私たちを欺かない。」という言葉から学びます。
「希望は失望に終わらない(口語訳)」と意訳して解釈することも可能です。信仰に拘わる「希望」だとしても、個人的なものから地球規模のもの、自己中心的なものから自己犠牲的なものまでいろいろです。ここで取り上げるのは、信仰を持つことで体験する様々な苦難から生まれてくる「希望」です。例えばパウロのいう「神の栄光にあずかる」希望を言います。今朝はこの「神の栄光にあずかる」希望に特化した説教になりますが、もっと身近な信仰のこととしてご自分の心にある信仰的希望を当てはめて聞いてみてください。あるいは「希望」を願うこと、祈り、という言葉に置き換えてもいいかも知れません。
 今朝のテキストでパウロは、信仰的な希望は決して失望(結局希望が叶わなかった)という結果を招かないと断言します。そしてその理由として「神の愛が心に注がれている」と言います。更にこの愛が、人間が持っている愛とは根本的に異なるもの、神さまにしか持ち得ない唯一無二の愛であることをイエスさまの十字架の出来事を通して語ります。この三段論法によって希望が私たちを裏切らないことを証明するのです。ざっくり骨子を追っただけでも、私たちの側の「希望」の質が問われていることが分かります。イエスさまの十字架の意味と目的→神の愛の唯一性→その愛が私に注がれているか。読者自身の希望もまた三段論法で問われている気がします。