ローマの千人隊長が神殿当局に訴えかけてパウロのためにユダヤの最高法院が招集されることとなりました。パウロという男はなぜこんなにまでユダヤ人たちに憎まれるのか…。異邦人の目にパウロは奇異に映ったでしょう。彼が生まれながらのローマ市民だと知ったことも千人隊長に心理的な影響を与えたようでした。ローマ側がローマ市民(パウロ)を裁こうとする場合、予備段階としてユダヤ教の最高法院の意見を聴取する場が設定されます。議会でのパウロの第一声に早くも大祭司が噛みつきました。審議もせずに体罰を与えようとしたのです。パウロは律法を根拠にこの行為を非難します。論戦における彼の矛と盾は常にみ言葉でした。分けてもユダヤ人との論戦において彼は律法を縦横無尽に活用しました。ユダヤ人にとっては律法こそすべての根拠であったからです。パウロが自らをファリサイ派だと言い死者の復活を信じていると明かした時、復活信仰について理解の異なるサドカイ派とファリサイ派が衝突、議場は大混乱に陥ってしまいます。その中、ファリサイ派の学者数人がパウロ無罪説を言い始めたのは驚きです。一方千人隊長の計らいでパウロは混乱から脱出することが出来ました。

 その夜神さまはパウロにこう語りかけられました。エルサレムでの2度のよい証しをあなたは今度はローマで語らなければならない、勇気を出しなさい、と。ローマはその時代の「全世界」でした。神さまは、パウロに世界伝道の幻と召命を直接お与えになったのです。