エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。他の記述に揃えて書くならば「エノクは365年生き、そして死んだ。」と書かれるべきでしょう。また彼の情報の中には他にはみられない神と共に歩み、という言葉が2度も出てきます。そして神と共に歩んだエノクを神が取られた、ともあるのです。いずれも異例です。

 このエノクについて、ヘブライの信徒への手紙11章5節に次のような記述があります。信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。

 天に移された。見えなくなった。これらの言葉から彼は死ななかったのではないかと思わせるエノクを、イエス・キリストの予型と言うことがあります。イエスさまは死を経験されましたが、神さまによって復活させられ、40日間地上を歩まれたのち弟子たちの目の前で天へと昇って行かれました。エノクもこのイエスさまのように天に招かれ、永遠の命に与ったのかも知れません。

 キリスト者はエノクのようにこの命を神さまにお委ねする者。私たちもやがて地上の死を経験することでしょう。けれどもそれはすべての終わりを意味しません。エノクを思う時、彼の姿が天へと昇って行かれるイエスさまの姿に重なりまます。さらに私のような罪人にもエノクの信仰にあやかる希望が与えられているように思えてくるのです。私たちキリスト者は実にエノクの末裔なのです。