「十戒・第十戒」
                          出エジプト記20章17節
 毎年8月の「平和宣言月間」に、連盟の「平和に関する信仰的宣言」と合わせて
数節ずつ繙いて来たモーセの「十戒」、今朝はいよいよ最後の第十戒を読みます。
第十戒「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人
のものを一切欲してはならない。」この時代、妻も財産でしたから他人の命の糧で
ある財産を奪ってはならないとの戒めのようです。牛でもろばでも奪えば第8戒に
抵触するし隣人の妻を奪うことは第7戒に抵触するのではないか。また隣人と出く
わして乱闘になり殺してしまったら第6戒に抵触するのでは…。つまり第10戒は、
人に対する4つの禁止令の繰り返しではないかとも思われるのです。確かに関連
していますが同じことの繰り返しではありません。欲する。自分のものにしたいと
思う。これは人の心の中のことです。思うだけでは罪を問うことは出来ません。思
いが実際の行為となった時に初めて罪が問われるのです。すなわち殺人も姦淫も、
窃盗も偽証も、行えば言い訳の出来ない具体的な行為であり即罪を問われるのに対
して、欲しいと願うことを禁じているのです。でも人が何を願っているのかなんて
誰にも分かりません。第10戒は、悪いことを心に思うと神さまがお裁きになるぞ!
と言っているのかも知れません。神さまの視線をそんなふうに畏れていつも意識し
て言動を糺すことはとても大事ではないかと最近とみに思います。
 「欲してはならない」口語訳聖書は「貪ってはならない」と訳しています。思い
を行動に移した結果が貪りの罪となるということでしょう。殺人も姦淫も、窃盗も
偽証も、根底に貪りがある。貪りこそが諸悪の根源だということになります。