今朝の宣教は、紀元前10世紀ごろに成立したと言われる2つ目の天地創造の物語の2回目です。神さまの言葉によって天地が整然と造られていく様子が描かれる1つ目の物語に対し、2つ目の物語は「人」に焦点が絞られています。
成立年代から言えば1つ目と2つ目と順序が逆ですが創世記は2つ目の物語から、イスラエルの人々が神さまの計り知れないご経綸の中で神の民として如何に生き抜いていくかを物語り始めます。創世記は2章4節から終わりまでが「人」をテーマとする一連の物語、これが編集者の意図なのかも知れません。そうなら天地創造の2つの記事の順序はこれで正しいことになります。
今回私は2章4節前半のこれが天地創造の由来である。「これ」を前半の物語を指す代名詞だと解釈しました。でも編集者の意図は「5節以下終章までの物語を指す」だったかも知れません。如何に近視眼的な読み方をしていることかと反省しきりです。
「聖書を読むためには専用のめがねが必要だ」とは神学者某師の言葉です。若い時に聞いて以来大事にしている自分への助言の一つですが今回新たに意味が加えられた気がします。愛唱聖句も加えられました。主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった。古代の神の民の純粋な信仰と瑞々しい感性が香り立つような聖句です。
いろいろな意味で寒さ厳しい時代、社会、世界。そこで踏ん張って生きている人たちにこんな聖書の言葉を聞いてほしい。この願いが教会の中でも育ちますように。