パウロの遺言とも言うべき「ローマの信徒への手紙」ですが、実に固い食べ物です。もちろん霊的な食べ物という意味でですが。
それでもとにかく一言一句飛ばすことなく読み進めて来て今日から12章に入ります。実はこの書物は、1章から11章と12章から最後16章までの大きく2つに分けることができます。
前半部分は「キリスト教の教理」についてのとても難しい説明でした。以前ローマ書を読むことを1匹の魚を食べることに例えたことがありますが、私たちは実は前回まで、固くてあまり美味しくもない骨の部分を食べて来たことになるのです。そしてそれをやっと昨年の11月に食べ終わりました。今日からは美味しい身の部分を頂くことになりますが・・・。
しかし筆者のパウロに変わりはないので(残念ながら)劇的な変化はほとんど期待できません。パウロはどこまでも理詰めで読者を説得しようとします。必ず原則的な理論的な基礎を構築しないことには前へと進めないのだと思うのです。まずしっかりとした箱を作りそこに日常の事例をはめ込んでいくという方法で持論を展開していくのです。1章から11章は従って「箱」の部分でした。そして今日から始まる12章から15章までが「個々のケース」です。ローマ教会の具体的な問題を、原理原則の「箱」に詰めて結論へと導いていきます。
さて、今朝のテキストの分けても12章1節はとても有名な言葉です。これこそあなたがたのなすべき礼拝。私たちがなすべき礼拝とはどのような礼拝であるのか、パウロは彼の流儀に従って最初に原則つまり「箱」を提示します。この「箱」つまり原則が12章以降終わりまで有効で、しかも後半部分に通底する土台、基本となります。私たちがなすべき礼拝とは如何なるものか、さっそくひも解いていきましょう。