重い皮膚病(聖書協会訳聖書では「既定の病」)を患っていた10人の人たちをイエスさまは癒されました。シンプルに見えて実はたくさんのメッセージを含んでいて、しかも読み込むほどに心がほんわかと温かくなるような、そんな物語です。

その中の一人は自分が癒されたのを知って大声で神を賛美しながら戻って来た。そしてイエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。

 何といってもこの15節16節が際立っているので“見よ、異邦人のこの信仰を!”みたいなメッセージが出来上がりそうなのですが筆者ルカの意図はもっと深いはずです。

 続く17節18節のイエスさまの言葉。

ほかの九人はどこにいるのか。ほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。

 イエスさまがユダヤ人たちに対して気分を害しておられるかのようにも聞こえます。しかし読むほどに、=9人のユダヤ人の中にもサマリア人のように先ず神さまを賛美したいと願った者、私の許に戻ろうとした者がいてもよかったのではないか。いや実際にいたかも知れない=。そんな風にも聞こえて来るです。

 イエスさまは10人を癒されました。サマリア人だけでなく9人のユダヤ人一人ひとりにも信仰を認めておられたからです。従って期待もしておられたでしょう。けれども9人のユダヤ人たちには、背負わされた「民族」の重荷をかなぐり捨てても神さまの許に駆け寄るだけの「信仰のエネルギー」がなかったのだと思うのです。

 さてでは、私たちにはその「信仰のエネルギー」があるでしょうか。イエスさまの指は私たちに向けられています。