2021年度も「神戸伊川教会の永眠者記念礼拝」を献げることができますことを神さまに感謝します。コロナ危機が始まって1年半以上が過ぎても状況が悪化するばかりの現状に在って、信仰者が、キリスト教会が、神さまからその存在意義を問い直されていると感じます。今朝取り上げるヘブライ書の主題の一つは「信仰とは何か」ということです。熾烈な迫害の中で信仰から離脱する人々が続出した紀元1世紀の後半、ヘブライ書の著者は信仰者自らが先達の信仰から真の信仰者の姿を学び取り、自らを省みて信仰を強く保つようにと勧めました。同じ方法が現代にも当てはまるように思います。
我らの国籍は天に在り。(フィリピ3:20口語訳)四教会合同の納骨堂前の石碑に刻まれている聖句です。このみ言葉の意味を今回はヘブライ書から聞きます。著者は先ず信仰とは何かを定義し、そのように人生を歩み通した人々分けてもアブラハムの死生観からこれを論証しようとします。アブラハムは神さまを信じ抜き、その信仰を豊かに祝福された信仰者の一人でした。彼は地上に於いて、自分はよそ者だこの地上に仮住まいしている者だ、と言いました。仮住まいということは彼には本当の住まいが別にあるということでもあります。アブラハムは自分の本国は天国だ、自分は天国で生まれこの地上で人生を全うし、死んで天の故郷に帰って行くのだと確信していました。遠い遠い遠―い未来に真の故郷を見て喜んでいたのです。だからこの世の富にも名声にも心惑うことなく、死を恐れることもなかったのです。