主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた(5、6節)。

 地上に人の悪が増した。それが具体的にどのようなことであったか書かれていません。しかし推測することは私たちにも出来ます。

 例えばアダムとエバの神さまとの約束の不履行、カインの殺人、レメクの復讐心。ネフィリムが存在することも背信の結果でしょう。異民族との混血、そして主なる神さまが最も忌み嫌われた宗教の混交。人が神に作られたものであるにも関わらず被造物としてのわきまえを捨てたこと。創造主なる神を崇めず、自分が主になろうと欲したこと。自分に都合のよいものを神に据えてそれを拝んだこと。(これを偶像礼拝と言います。)人は遂に落ちるところまで落ちてしまった。そして神さまは遂に人を造ったことを後悔されるに至ったのでした。

 全知全能にして絶対者なる神さまが「後悔なさる」。そんなことがあっていいのかと思ってしまいます。しかし神さまが杓子定規で一度決めたことは決して変更されないような機械のような方だったらどうでしょう…。

 しかし実際はそんな冷血漢どころか、罪人を救って命を与え生きよとお命じ下さる方なのです。罪人のためにかけがえのないお独り子の命を差し出して下さる方なのです。

 私たちは受難節の日々を歩み出しました。4月8日まで私たちは普段に増して神さまの愛を肌身に感じ、また内なる霊にその愛を抱きつつ過ごしたいと願います。この祈りと黙想なしにイースターを迎えても本当の喜びは味わえないからです。