暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。(口語訳)

 預言者イザヤはこの言葉を戦時下で語りました。南北に分裂した王朝全体が、アッシリアの政治的軍事的圧迫の下肉体的にも精神的にも追い詰められ、絶望の中で神の民が神を呪う、という悲惨な状況にあった時のことです。

 混乱と絶望のただ中に立って預言者イザヤは語るのです。「既に私たちは光を見た」と。「現に私たちの上に光が輝いているではないか」と。神さまの言葉の確かさの故に、まだ起こってもいないことを、既に起こった事として「完了形」で語っているのです。神さまへの信頼のゆえに、目の前の悲惨極まりない現実と対比させる、という大胆な方法を用いて、有り得ないような明日を語り抜くことが出来たのです。「今はこのような有様でも、続く明日は光に満ち溢れているのだ」と。分けても今年はこの預言の言葉を一つ一つ味わっていきたいと思います。

 イエスさまが、すべての人々への良き訪れを携えて弟子たちや貧しい人々、また子どもたちや女性たちと談笑しながら歩まれたパレスチナの町々。ガザの町はもはや見る影もなく破壊し尽くされています…。人間の罪深さに戦慄を覚えると同時に、その憎悪や嫌悪が決して他人事でないことを感じます。

 この人間の心の暗闇にイエスさまが生まれて来て下さる。この年も見捨てることなく諦めることなく訪れて下さるのです。特別な待降節になりそうな今年、心を新たにし希望と期待を胸にクリスマスまでの一日一日を丁寧に歩んで行きたいと願います。