祝福の象徴であるオリーブのある枝が折り取られた。この枝が、心を頑なにして神さまに背を向けたイスラエルを表していることは想像に難くありません。

 神さまから、恵みの約束を受けた信仰の父祖アブラハム。彼を「根」とするオリーブは、神さまのみ心のままに幹を太くし、枝や葉を茂らせて豊かに結実するはずでした。しかし実際はそのようにはならなかったのです。それで神さまはその枝を折り取られた。イスラエルは折り取られたのでした。

 さて神さまは、育ち損ねた枝を折り取ったその跡に、野放図な根につながっていた野生の枝を接ぎ木されたのでした。するとどうなったか。野生の枝は、接がれた木にしっかりとつながって一体となり、根から送られてくる豊かな恵みによって、まるで始めからその木から生え出ていたかのような、良いオリーブの枝となりました。

 言うまでもなく野生のオリーブの枝とは、異邦人のことです。私たちはすでに学んで来ました。ユダヤ人の躓きは、実は神さまのご経綸の内に最初からあったのだ、ということを。異邦人を恵みに与らせようとして、敢えて彼らを躓かせられたのは神さまであったということを。オリーブの木の出来事は、ユダヤ人と異邦人に対する神さまのみ旨の成就の「喩え」であったのです。

 パウロは言うのです。だからあなた方異邦人は、折り取られた枝に対して誇ってはなりません(18節前半)

 私たちは、異邦人である、という自覚をもって謙虚であるべきなのです。神さまの一方的な憐れみを心に留めて感謝に生きる者へと変わるべきなのです。(説教断片)