バプテスマのヨハネがヨルダン川沿いの地方一帯で宣べ伝えた「悔い改め」を現代の私たちも聞いていきます。
当時イスラエルを治めていた者たちはピラト、ヘロデ、フィリポですが彼らに悪い評判はあっても良い評判はありません。大祭司アンナスとカイアファも宗教者間の勢力争いがあり政治も宗教も腐敗し、イスラエルの人々は神の言葉からはなれていました。
ヨハネは「悔い改めにふさわしい実を結べ」と説きます。
イエスは「わたしは道です」と言われました。一方ヨハネは「道を整える者」です。
人々が主イエスという真理の道を歩くために道を整える役割をするのがヨハネです。
それは苦しむもの(谷)を引き上げ高慢なもの(山と丘)を崩して引き下げ、価値観を正し(曲がった道)不義や不平等(でこぼこ道)を直すようなものです。
神の基準を示しその基準に連れ戻し、そこを歩かせることです。人生の基準を知らされなければどこに向かっていけばよいのか信仰を持たないものには分かりません。
人は創造主なる神にかたどられて創造されました。罪を赦されている恵みに気づき、神が良しとされる行為を当たりまえのこととして行って生きる。悔い改め=反省ではなく方向を変えることです。自分勝手な生き方から神を第一とする生き方へと変えていくことです。
神の言葉を「聞くだけ」の者から、「聞いて信じる」者へと変えられバプテスマを受け、さらにクリスチャン生活を続けているわたしたちは「聞いて信じて行う」者へて変えられていきたいものです。
(酒井執事)