パウロの決別説教の3回目、今日が最後です。同時に今年度の使徒書の講解説教も今日が最後となりました。エフェソの長老たちはパウロとはもう二度と会えないんだと悟って悲しみ激しく泣いた、とあります。しかし使徒言行録はこの後も28章まで続きます。そしてパウロはメッセージを送り続けてくれます。だから私たちは悲しむ必要はありません。2021年の1月を期待してまちましょう!
神とその恵みの言葉にあなたがたを委ねます。32節のパウロのこの言葉に強く心を打たれます。私たちは神さまの御手に委ねられみ言葉の養いに委ねられたのです。手放しで自分自身を任せていける。これ以上の確かさがあるでしょうか。この確かさと平安とを得て私たちが為すべきことをパウロは示してくれます。自分(パウロ)のように働いて弱い人たちを助けるようにと。受けるより与える方が幸いとのイエスさまのお言葉を思い出すようにと。しかし今という時代はこのパウロの指示とは逆の価値観によって支配されています。人々は他者と関わることを嫌い自分の受けるべき分を主張して止みません。創造の神は人を支え合い助け合う者同士として造られた(創2:18)のに。多くの人々が痛み傷つき弱っています。私たちキリスト者のこの世での働きがパウロの言葉から見えてくる気がしませんか。弱い人のために働く。受けるのでなく与える。小さく欠けた私にそんなこと出来ない…でしょうか。本当は神さまに在って強く、み言葉に満たされて豊か。私たちはそうではないでしょうか。