2か月ぶりにみんなで会堂で礼拝をささげます。今年度最初の礼拝の「天国のたとえ(1)」に続いて今日はPart2です。ところで現代社会において「天国」という言葉ほど、非現実的な響きを持つ言葉はないのではないでしょうか。何でも数値で答が出せると思われている時代。科学的な現実こそ真実だという科学万能神話が大手を振ってまかり通る現代。でも本当にそうでしょうか。今コロナ災禍の中で、全世界は科学のその確かさ、その万能に頼りなさを感じ始めているのではないでしょうか。今まで絶対と信じていたものが実は脆くて頼りにならないものなのかもしれないと疑いを抱き始めているのではないでしょうか。そして信仰者たちに、持って行き場のない怒りや苛立ちの矛先を向けるのではないか。この事態の中であなたたちの神は、何をしているのか、と。大きな災害が起こり悲惨な現実を体験するにつけ、人は決まって「神」を持ち出します。神が居るならなぜこんな災禍が我々に降りかかるのか、と。

 時を支配されるのは神さまだけです。人も、他の一切の被造物も永遠はおろか1秒先のことさえ知り得ません。神さまは仰います。人のために私が立てた計画は平和の計画であって災いの計画ではない。将来と希望を与えるものだ、と。たとえ今が艱難のトンネルのただ中でも必ず出口とへ導かれる。その先は平和へ、希望へと続いていくのだと言われるのです。今は何が何だか分からなくても、どんな状況にあっても大丈夫なのだと神さまが仰るのです。