パウロはエフェソの長老たちに残す言葉を熟考しました。私たちもいずれはこの世を去っていきます。その時に私はどんな言葉を遺すのだろう…。
イエスさまの遺言は現代のキリスト者の心の中で息づいています。ご内住のイエスさまが私たちの内で真理の言葉を語り続けてくださっています。その真理の言葉、命の言葉を愛する人たちみんなに遺していけたらいいな、これが私の夢です。

パウロは、誕生して間のない異邦人教会のリーダーたちに、そして現代の教会の預言者たちにも有益な言葉を遺しました。その言葉は私たちに、自分への神さまからの召しを再認識させ感動を与えて奮い立たせるものです。教会を一層愛し真心をもって仕えようと決意させるものです。さらにパウロは具体的な指示を後世のキリスト者たちに伝えています。自分自身に気を配ること、同時に群れ(教会)全体に気を配ること。この言葉はともすると教会の中で受け身に解釈されるかも知れません。信徒には気を配ってほしい。教会全体に配慮するのは信徒の勤めではない。そうでしょうか。それがパウロの真意だったとはとても思えません。

キリスト者とはイエスさまの血潮と引き替えに信仰を頂いた者です。教会の部分となってキリストのお体を建て上げていく使命を頂いた者です。聖霊の神が私たちに神の子としての身分を自覚させ光栄な働きに就かせてくださったのです。レントの日々を歩む私たち。今こそ信仰の原風景に、イエスさまの十字架と復活に、立ち帰ってみませんか。