「七つあります」
        マルコによる福音書8章1-10節
ご存じパンの奇跡の物語です。七つのパン。貧しい人々が常食にしていたと言われ
ます。2匹の魚。ガリラヤ湖で漁をする漁師の網にかかった小魚、売り物にならない
そんな魚を干して作った保存用の干物であったと思われます。奇跡物語を読む時、例
えば今日のテキストを読む時、7個のパンと少しの魚が「どんなふうに」イエスさま
の手の中で増えていったのだろう…と考え出すと際限なく想像が膨らんでいき、やが
て聖書からそれていってしまいます。あるいはイエスさまが、手許にあった7個のパ
ンと少しの魚を近くにいた誰かに分け与えられた。それを見て、おそらく群衆の多く
が持っていた備食を差し出し、みんなの中で分け合いがはじまったのだ、そう解釈す
る向きもあります。それは平和で温かな光景ですが信仰がなくても起り得ることです。
私たち信仰者は「何ゆえかは知るを得ねど、我確信するなり」そんな風に奇跡物語を
読んでいきたいと思います。見ないで信じる幸いを味わいたいと思います。
 今朝のテキストと、6章の五千人の供食の記事は酷似しています。でも同じ出来事
ではありません。別々に別々の場所で起った奇跡でした。マルコはこの二つの奇跡物
語を通してお弟子達を問い私たち信仰者をも鋭く問います。あなたはイエス・キリス
トを「誰だ」と言うか、と。ペトロは「あなたはメシアです」と完璧に答えました。
でもそのすぐ後で、あなたは神を思わず人を思っているとイエスさまからお叱りを受
けています。お弟子たちもそうでした。何と鈍いことかと呆れられてしまったのです。
私たちもそうではないでしょうか。すぐにこの世のことにかまけてしまって神を思う
ことが少ないのです。いつも神を思う心を保つにはどうすればよいのでしょうか…。