「わたしは主に罪を犯した」    サムエル記下12章13-23節
「敬虔な信仰者ダビデ」のイメージが、ゴロっと変ってしまいそうな今朝の

テキストです。ダビデ王の生涯の汚点ともいうべきスキャンダルが11章、12章に

書かれています。全イスラエルを掌中に治めたことによる慢心でしょうか、緊張

の緩みでしょうか、ダビデは姦淫と殺人の罪を犯してしまいます。神から遣わさ

れた預者ナタンは、知恵を以ってダビデを心からの悔い改めに導きます。「わた

しは主に罪を犯した」。激白するダビデを神は赦されますが、罪の結果は残り、

ダビデ家にもイスラエル全体にも悲劇をもたらしてしまいます。この物語は、神

ご本質に関わる「裁きと赦し」がテーマです。神の裁きと赦しを人間の側の基準

で理解しようとすると、罪ある者にさえ豊かな祝福や喜びを与えてくださる神の

ご愛に気づけないばかりか、神の御業に不審感を募らせたり不満を抱くことにも

なりかねません。私たちキリスト者が神を信じるとはどういうことか、神にお従

いするとはどういうことか、改めて問われている気がします。