今日から待降節に入ります。キリスト教会においてとても大切でとても嬉しい(そしてとても忙しい)シーズンの到来です。クリスチャンにとっては「待つ」ことを楽しめる季節でもあります。さあ、クリスマスを迎えるための心の整えをする時が来ました。この1年間を思い起こしてみましょう。コロナ危機という非常事態の下で、あなたにとっての2021年はどんな1年でしたか。伊川教会にとっては、まことにイエスさまが共に歩いて下さった1年だったなと、私は思っています。

 「インマヌエル」預言と呼ばれるイザヤの言葉は現代もなお解釈が様々に分かれる難解な箇所だと言われます。イザヤが語ってのち、永遠に不滅であるはずのエルサレムが陥落、神の民イスラエルはその国を失いました。信じられない出来事の痛みに加えて多くのユダヤ人が捕囚という苦しみの極みを体験しました。それでもダビデ家の末裔たちはイザヤの預言を忘れなかったのです。その成就を信じて疑わなかったのです。親から子へ、子から孫へ、預言は損なわれることなく伝えられ、やがて700年余りが経ちました。ユダヤのベツレヘムという町でマリアという少女が男の子を産みました。住民登録の勅令がローマ皇帝から出されたためにダビデの町へと向かう旅の途中でのお産だったのです。 町には泊まるところがなく家畜小屋での出産という悲惨な状況でした。しかし代々伝えられて来たイザヤの預言を心に留めていたユダヤ人には「このささやかな出来事こそあの預言の成就ではないのか」そう思えてならなかったのでしょう。