19節。

いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。

 「いや」。ここには非常に強い否定の言葉が使われています。神さまは、様々な思いから後ろへ後ろへと下がろうとするアブラハムの心を、強い言葉で引き止め、そして新しい信仰のステージへと彼を引き上げようとなさるのです。

 私たちもそういう場面がないでしょうか。―燃えるような感動と希望を抱いて信仰者になった頃は素晴らしかったけれど、それも月日が経つうちに色褪せ、疲れが堆積し、祈りも聞かれている気がしない。ちょっと祈って、頂いたかなぁ程度の喜びを手にすれば、まぁ満足は出来ないけれどこれで納得するしかないね。―などと神さまを自分サイズに矮小してしまう。

 こうなったら信仰者は終わりだと思います。けれども神さまは、アブラハムを諦められない。(だからあなたも諦められてはいないのです。)

サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。私は彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。

 心が折れて気が弱くなって、体もしっかりしていなくて…。そんな自分を、叱咤激励する人、過保護に慰労する人、時間が立てばと一旦頭を切り替えようとする人、さっさと諦めて他の興味へと移っていく人…、世の人々は、落ち込んだ時の対策をちゃんと準備しているのかも知れません。クリスチャンのあなたはどうでしょうか?どうしますか?