先週は、ザカリアの妻のエリサベトの物語を聞きました。今朝は、このエリサベトを訪問し、彼女の信仰の言葉によって自分の人生を肯定的に受け入れ神さまを賛美するマリアの物語を読みます。ルカのクリスマス物語はキリスト教会において必ずといっていいほどこの時期に読まれる聖書箇所です。それだけに既成概念にとらわれたマリア像を思い描く人が多いのではないでしょうか。聖母、女性の鏡、母親のお手本…。そんなマリア像が無批判に教会の中で綿々と語り継がれてきた歴史があるのは事実です。しかしこれからもその道を行くのだとしたら、私たちは知らず知らず神さまのご経綸から反れて行ってしまわないでしょうか。そうではなくマリアも私たちと同じ大地に立った人、そこで七転八倒しながら、血と涙と汗にまみれながら、生の営みを続け自分の人生を歩き通した人として理解しようとする時、マリアが今ここで生きている人のように感じられ、この私ともつながっているように感じられるのです。…思うのです。
今年度の待降節は、降誕物語の脇役としてのエリサベト、マリア、アンナにスポットを当てその良い働きから学ぼうと考えています。そうすることで「私の人生」という舞台で、知ると知らざるとに関わらず如何に多くの脇役によって支えられているかを感じたいのです。そうすることで私も数えきれないほどの人の舞台で主役を支えている脇役であることを実感したいのです。人と人とがつながり合ってお互いの存在を大切に思っていることを喜びたいのです。こんな気持ちになるのもコロナ危機のせいでしょうか、ね?