今朝のテキストはエフェソでのエピソードの1つ目です。ユダヤにはユダヤの宗教の範囲内で存在が許されている祈祷師たちがいたようです。世界のどの国にも神懸かり的な人は存在していたと思われます。今朝登場する祈祷師はしかし偽物の祈祷師です。パウロの業を真似て利益を得ようと企む悪者たちでした。彼らが悪霊に憑りつかれた人に主の名によって命令したところ、悪霊に偽物であることを見抜かれて衣服を引きちぎられ傷を負わせられ、這う這うの体で逃げ出した、と書かれています。今日のテキストでは悪霊は正義の味方のように振舞っていて愉快です。私たちは面白がりますが、目撃したユダヤ人の間には恐怖が拡がりました。

そしてたちまち悔い改めが始まった、信仰のリバイバルが起こされたのです。このことには考えさせられます。私たちの国には、大いなるものへの畏怖の念が無さすぎるのではないでしょうか。昔の親たちは「嘘をついたら閻魔さんに舌を抜かれるよ」とか「地獄の血の池に放り込まれるよ」とか言いつつ悪い行いを諫めました。恐怖による抑止の良し悪しはともかく子ども達はそのような言葉で自制を身につけたように思います。そんな躾が通用しない現代、余りに何でもありになり過ぎていないでしょうか。

主を畏れることは知恵の初め。(箴言1:7)先ずは大人がこの言葉から学ばねばと思ったことでした。