今朝のテキストは新共同訳聖書のローマ書6章の小見出し「罪に死にキリストに生きる」についてパウロがストレートに語っている箇所です。言葉こそ出て来ませんが先週のバプテスマとも関連する部分でもあります。

 バプテスマと言えば私の場合ですが、受浸のために信仰告白を書いた時「罪に死にキリストに生きる」意味が分かったから告白をした、などとはとても言えませんでした。「こうだ」と教えられ「こう書くように」と受浸者クラスで指導されそのまま書いたように思います。

 それが数十年経って立場が逆になった時、受浸予定の皆さんに納得がいくまで説明したかというとそうではありませんでした。「いつかストンと落ちる時が必ず来るからまずはこう書きましょう」と言ったような。今更ですがそんなのでよかったのかな・・・。そんないい加減な指導を受けた皆さんが今や立派に成長しておられるのですからそんなのでよかったのですよ、きっと。何しろ育ての親が神さまなのですから。

 蒸し暑くて気怠いこの季節に、難解なローマ書を手にじっと座って説教を聞かなければならない皆さんのしんどさ、察するに余りあります。でもぜひ意識的に緊張し覚醒して、ひと言も聞き漏らすまいとの気概をもって聞き取る努力をしてみてください。

御言葉が開かれると光が射し出で/無知な者にも理解を与えます。(詩編119:130)

 無「知」ではなく無「垢」な私たちには理解が与えられる、と詩人は言っています。思い込みを捨ててみ言葉に全面的に依拠しつつローマ書との格闘を楽しんでください。