パウロたちの一行はエルサレムに到着しました。これをもっておよそ10年間、3回に亘って行われた伝道旅行が終了したことになります。さて一行は、カイサリアから同行してくれた数人の弟子たちの案内でムナソンという古くからのキリスト者の家に投宿し、翌日主の兄弟ヤコブを訪ねます。そこでエルサレム教会の長老たちとの再会も果たし、パウロの異邦人伝道の報告は彼らをおおいに感動させ主への賛美に導きました。さてヤコブはパウロの敵対者たちがずっと彼の命を狙っていることを知っていました。彼のエルサレム入りを知れば騒動が起こるだろう、そうはさせまいと、一計を案じます。パウロがユダヤ教の宗教祭儀を行う様子を敵対者たちに見せて、パウロが彼らの敵ではないこと、モーセの律法を蔑ろにするのでも割礼を否定するものでもないことを証明させようとしたのです。もちろんパウロに異存はありませんでした。彼はキリスト者になったからといってユダヤ人を止めた訳でもアイデンティティを捨てた訳でもありません。律法は尊いものであるとして喜んで守ろうとしました。割礼についてはユダヤ教の儀式であることを認めていました。ただ敵対者が主張する、律法と割礼は人が救われる条件だという間違った教えに対してのみ「NO」を突きつけて来たのです。

 イエスさまの教えは、すべての人の尊厳を尊重し人々を様々な束縛から解放し真の自由を与えるものです。「イエスさまを信じる信仰」以外救われるための条件など何一つないのです。