サマリアの女性の物語の2回目です。イエスさまに出会って生き直しに導かれた女性は180度の人生の転換を経験し、サマリアの人々に福音を伝える役目をも担いました。
 ヨハネは、何もかもが異なって共通項が全くないような二人、ニコデモとサマリアの女性の回心の物語を敢えて並べて福音書に掲げています。ニコデモは、ユダヤ人男性で最高法院の議員、ユダヤ教のラビでもありました。彼はイエスさまを信じる人になりましたがそれを公言することはしませんでした。その代わりにイエスさまを逮捕しなかった下役たちを弁護し、またイエスさまの亡骸が十字架から降ろされた時、香草を持って来て傍で仮葬を手伝いました。右手の業を左手に知らせないような彼の業を私は素敵だと思います。
 一方サマリア人で身持ちの悪さゆえに他者から白眼視されていた女性にヨハネは名前さえつけていません。プライバシー保護の観点から??まさか。彼女は自分の人生を諦めてしまっていました。でもイエスさまによって新しい生き方を始めることが出来たのでした。彼女の本の姿に引き戻されたのかも知れません。何か心に浮かんだ時や内なる声の促しを受けた時、彼女なら直ちに行動を起こすでしょう。
 決断力とフットワークの軽さ、どちらも私にはない賜物、羨ましい限りです。このテキストから聞こえてくるのは、イエスさまの福音に与れない人は誰もいないというメッセージです。自分の置かれた立ち位置で心を込めて主に仕えようと努力することの祝福も教えてくれているように思います。