今朝のテキストは癒しの物語です。マルコの福音書に通底するテーマ「イエスさまとは誰か」「弟子の無理解」「メシアの秘密」が色濃く現れている箇所でもあります。

 この癒しの奇跡が「どこで」行われたのか実ははっきりしていません。イエスさま一行の行程が不自然だからです。しかしこのような聖書の古文書としての限界が返って多くの可能性を引き出してくれるのはとても素敵です。物語自体が「福音はあらゆる時代のあらゆる人々に向かって開かれている」ことを証明しているのです。

 「証し」という点でこの物語はまた温もりに満ちたメッセージを発しています。耳が聞こえず舌が回らなかった「この人」にイエスさまがなさったことは、この症状に対する治療行為というよりは「この人」との100%の人格的交わりであっただろうと私は想像しています。他の、耳が聞こえず舌が回らない症状の人に対しても同じ行為をなさった、とは言い切れない、全く違ったかも知れないと思っています。

 人は体と心と魂(霊)からなる存在だと言われます。そのどの1つでも健全でなくなれば人は病気になるのです。イエスさまの時代、病は全て悪霊の仕業だと考えられていましたが、病気と人の霊とが無関係でないことを知っていた点では凄い!と思います。

 現代の治療は肉の症状に対する鎮痛と改善のための処置であって人の霊へのケアとは別と考えられているように思います。しかし肉が痛めば霊も心も痛みます。そのところにこそイエスさまが100%関わってくださるならば、これが希望でなくて何でしょうか。