マルコ福音書の冒頭には、「神の子イエス・キリストの福音の初め」とあり、
イエスが洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた場面から語り始められます。マル
コ福音書の前半では、イエスの宣教活動は、神の子、救い主として人々を癒し、
教えることでした。しかし、8章の最後でイエスは弟子たちに受難を予告し高い
山の上でイエスの姿が変わった9章の出来事を境に、イエスは受難へと向かわれ
ます。バプテスマのときに響いた神の声、「あなたはわたしの愛する子」が再び
響き渡りますが、今回は弟子たちに向かって「これに聞け」と命じています。受
難のイエスに従うように招かれているのです。神の子、救い主は、人々を癒し、
教えるだけでなく、受難と復活によって人々を救うからです。しかし、イエスの
受難が迫ったとき、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」とマル
コ福音書は伝えています。「キリストの変容」と呼ばれるこの出来事は、旧約が
証しする神のみ心と、弟子たちの無理解との間に立たされたイエスの姿でもある
のです。その姿が神の栄光に包まれていることは、私たちにとって大きな励まし
となりますが、私たちもまた無理解な弟子の一人であることを心に刻まなければ
いけません。神が自分を選んでくださったと胸を張るのではなく、日々イエスに
従うことができるように辛抱強く導いて下さる神のみ心に思いを馳せたいもので
す。弟子たちは、イエスの言葉を心に留めて論じ合ったと述べられています。自
分もまた無理解であることを受け入れつつ、弟子たちと同じように豊かな交わり
の中で、日々、神のみ心を選び取っていきましょう。