「罪人」と言われていた人たちとイエスが関わる理由がたとえで語られます。

 1枚のドラクメ銀貨には1日分の日当の価値がありました。しかし女性が賃金労働をすることが珍しい時代に、男性が考えるはるかに大きな価値がある銀貨1枚だったと考えられます。女性は部屋を隅々まで照らし、土間に積もった塵を掃き清めて探します。「罪人」と呼ばれて社会の中から排除されている人は、その人の価値、その命や尊厳が失われ、その本当の価値を発揮することができません。女性にたとえられている神はそのような人をそのまま放っておかず、見つけ出すまで探されるのだとイエスは語るのです。銀貨は悔い改めたから、持ち主のもとに帰ったわけではありませんし、持ち主の手に帰った後も自分のしたことを反省しません。なぜならば銀貨が失われた責任は銀貨には全くないからです。その責任は誰にあるのでしょうか。

 シム・ダリョンさんは、13歳の時連れ去られ、「従軍慰安婦」にされました。何の落ち度もないのに、その命も尊厳も奪われ、壮絶な体験の末に故郷に帰っても自分が汚れているという囚われから解放されることはありませんでした。しかし50年もの歳月の後に、彼女を見つけ出し、その尊厳を回復しようとする人々が現われます。彼女を描いた『はなばぁば』という絵本には、彼女が被った悲劇だけでなく、彼女に寄り添い、その尊厳を回復しようとする愛や温もり、そして彼女の最後の願いが、優しく美しく描かれています。